「僕」
2004年12月2日どうして「僕」は「僕」なのですか?
生きているとか死ぬとかそんなことはどうでもいいのです。
どうせたいしたことではないのです。
きっと人間が決めた「時間」というものが時を刻むように
きっと昨日から明日へと日付が変わったように
ほとんど何も変わらないと思うのです。
なのに何故人は生きるということに
死ぬということに疑問を抱くのでしょうか。
僕は今の自分の状態を生きているとは著したくは無い。
自分が生きているとは思えないから。
でも死んでいるわけでもないのです。
では「僕」は何なのでしょうか?
その答えは「僕」は「僕」であって
それ以外の何者でもない、と?
しかし「僕」は「僕」ではないかもしれない。
そうは思いませんか?
何故貴方は貴方だと自信を持っていられるのですか?
だから「僕」は勝手にこのカラダを殺すことは許されないのです。
「僕」が何とも思っていなくても「僕」が「僕」でなかったら
その「僕」以外の人は「僕」が生きるということをしてくれるかもしれない。
何の疑問も抱かずに「普通」というものを演じてくれるかもしれない。
否、演じなくともそう生きるかもしれない。
「僕」は死んではいない。
でも生きてもいない。
「僕」は死にたくない。
でも生きてもいたくない。
ねぇ
こんなこと
誰が理解ってくれると思います?
生きているとか死ぬとかそんなことはどうでもいいのです。
どうせたいしたことではないのです。
きっと人間が決めた「時間」というものが時を刻むように
きっと昨日から明日へと日付が変わったように
ほとんど何も変わらないと思うのです。
なのに何故人は生きるということに
死ぬということに疑問を抱くのでしょうか。
僕は今の自分の状態を生きているとは著したくは無い。
自分が生きているとは思えないから。
でも死んでいるわけでもないのです。
では「僕」は何なのでしょうか?
その答えは「僕」は「僕」であって
それ以外の何者でもない、と?
しかし「僕」は「僕」ではないかもしれない。
そうは思いませんか?
何故貴方は貴方だと自信を持っていられるのですか?
だから「僕」は勝手にこのカラダを殺すことは許されないのです。
「僕」が何とも思っていなくても「僕」が「僕」でなかったら
その「僕」以外の人は「僕」が生きるということをしてくれるかもしれない。
何の疑問も抱かずに「普通」というものを演じてくれるかもしれない。
否、演じなくともそう生きるかもしれない。
「僕」は死んではいない。
でも生きてもいない。
「僕」は死にたくない。
でも生きてもいたくない。
ねぇ
こんなこと
誰が理解ってくれると思います?
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